ウィザーズコンプレックス 鳴√ 雑記
『フィクションを非実在ではなく実在する異文化として観ること』
『フィクションに夢観る者は卑屈になるべきではない』
鳴√から感じたメッセージ的なものはこのふたつ。
ひとつめに関しては、元長氏が過去にTwitterで発言したソレです。
ソレをターニャが語る。パラレルスピークとかいうハチャメチャにカッコいい方法で語るの。リリックバトル最高ですね。
オタク文化はフィクションを実在たらしめるだけの力がある。しかし、オタク文化に身を置くものたち自身が、フィクションは非実在だと、現実ではないと諦めている。だけどターニャはそんなくそったれな現実を受け入れない。夢(フィクション)を現実にすると力強く宣言する。
フィクションは非実在なんかじゃない。異なる文化として実在しているんだと、生きているんだとそういう話です。
俺自身二次元は二次元、三次元とは違う、理想的な世界だとして、諦め・割り切りの姿勢だったし、結構グサグサささる話だった。
根性ネジ曲がったクソみたいなオタクより、二次元美少女たちのほうがよほど生き生きしてるもんなあ。それを非実在だと割りきって、生き物じゃないってするのは失礼かも知れんですね。
これがひとつめ、『フィクションを非実在ではなく実在する異文化として観ること』。
そんでもってここから鳴の返し。これもまた刺さる。
鳴はターニャを『あたしたちの夢』だと言う。そんな夢であるターニャが、『あたしたち』に嫌われるようなことをしちゃダメだと言う。
夢を持ってるやつが、他人に嫌われるようなことしてたら、夢の価値が落ちる。これ、フィクションを楽しむオタクたちが、一般人に嫌われる(悪印象を与える)ようなことをするな。それは君たちが好きなフィクションそのものを汚すことになるんだぞっていう話ですよね。卑屈になるな、素直になれと。そういうことです。
これがふたつめ、『フィクションに夢観る者は卑屈になるべきではない』。
このふたつをどうにかしないと、フィクションは非実在のままだし(非実在としているのは主にオタクで、むしろ一般人は実在として認めている。だからこそフィクションが児ポ対象になるならないの話が出てくる。)、オタク文化は死んでいくのかもしれないですね。