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『できない私が、くり返す。』詩乃√及びRe:Call√を主とした雑記

ノベルゲーム

 『できない私が、くり返す。』というタイトルではあるが、ループモノという感じはしなかった。時計を使って時間を戻すという超越的な力を有しながらも、その世界観は極めて我々の居る世界に類似した、『馴染みある世界の話』という感覚が強い。

 

 詩乃√における詩乃は、陸の願いを写し出す鏡のような存在に思えた。だから陸は詩乃の姿を通して過去の想い人である漣さんを無意識に見ていた。また、詩乃が言った『生きたい』という願いは、詩乃の願いではなく、陸が詩乃(を通して見ている漣さん)に『生きて欲しい』という想いが写し出されたもののように思えた。

 

 対してRe:Callでは漣さんへの想いを決着させることで、詩乃に鏡ではなく詩乃として向き合うことが出来た。そして、詩乃が鏡ではなくなったことで、その口から発せられる願いは『生きたい(陸の望み)』から『最期まで一緒に居たい(詩乃の望み)』に変わる。そして、その願いを叶えて、この物語は終わる。

 

 この作品から伝わったのは、作中で漣さんが言うように『後悔しないように生きろ』ということ。限られた時間と、限られた選択肢に抗うことも悪くはないのかもしれない。でも、その限られた時間と選択肢の中で、自分にとって意味あるものを見つけ、向き合っていくことが大事なんじゃないかと、そんな感じ。

 

 こういう、作品全体の雰囲気から、どうにも『どこか遠いところのお話』ではなく『僕達の世界の話』のように感じられた。だから、この作品をやっている間(特に詩乃√とRe:Call√)は、ひどく息苦しかった。

 

 さて、Re:Call√は、理想的・二次元的・ハッピーエンドとはいえないかもしれないが、十分にグッドエンドと呼べるものだと思っている。しかしそれは、あくまでも陸が時間を戻した後の世界においてである。

 時間を戻す前、詩乃と別れ、死に際を見ることのなかった詩乃√は、完全にバッドエンドである。そして、このバッドエンドは、客観的事実としては存在していないが、陸の主観的な事実としては確かに存在しており、時間を巻き戻したからといって、無くなるわけではない。

 あの時計はあくまで時間を戻すものであり、やり直すためのものではない。詩乃√で詩乃を精神的に救えなかったことと、Re:Call√で詩乃を精神的に救えたことは、全く別の事実であり、詩乃√の詩乃を救えなかった事実は永遠に変わらない。

 これは、あらゆるループ系作品に対する『ループして望む未来を手に入れても、それまでの事実がなかったことになるわけではない』というメッセージのように思える。時間を巻き戻した者は、巻き戻した回数と同じ数の世界を、独りで抱えて生きていかなければならない。

 

 Re:Call√で陸が向き合った詩乃は、果たして本当の詩乃だったのだろうか。陸は詩乃√の詩乃との別れを経験し、Re:Call√へと時間を巻き戻し、再び詩乃と出会い、その最期を迎えた。陸は、詩乃√で願いを叶えてやれなかった詩乃の影をRe:Call√の詩乃に重ねていたのではないかと思う。

 ただ、そのことに陸も詩乃も気付いておらず、気付かないまま、ハッピーとは行かないまでもグッドエンドといえるほどのエンディングを迎えている。気付かないまま終わったことを悪いとは思わないし、むしろこの作品から終始漂う三次元的雰囲気からすれば、この終わり方がある種正しいとさえ思える。